組合員の投稿

劇団所有の劇場が消えていく
文化を大切にしない国でいいのか
私が「新劇」に興味を持ったのは、1967年、俳優座と日生劇場の合同公演で「クルベット、天から舞い降りる」を観たときからです。出演者も私がいま名前を思い出せるだけでも、市原悦子(新人)・永井智雄・加藤剛・近藤陽介・東山千栄子・小沢栄太郎・田中邦衛など今にして思えば蒼々たるメンバーで俳優座総出演と言えるものでした。
当時は、日生劇場(興行資本)と商業主義によらないヒューマンで現実を見つめた舞台活動をしていた「新劇」がコラボして上演するという事はほとんど観たこともない時代でしたから、職場の同僚から「日生劇場で新劇が上演されるの?」と言われたくらいでした。
その後、労演活動などもしながら、年間2~3回は観劇に出かけていましたが、退職後には「劇団民藝友の会」を中心に、前進座、青年劇場など年間5~8本くらいは見ています。CUでも前進座公演の案内が年に1~2回はあるので、ぜひ一度劇場に足を運んでいただき、その「楽しさ」を実感してもらいたいと思っています。
先日、六本木にある俳優座劇場が70年に渡る歴史に幕を閉じるとの新聞報道を見ました。何年か前には吉祥寺の前進座劇場も無くなりました。一つの劇団(中小企業)が自前の劇場を運営するのは、演劇活動だけでは維持できないという事なのでしょうか。宗教法人などの様な税制上の優遇制度でもあればいいなとは思いますが、この国は文化芸術活動には、とにかくお金を出さないことだけは確かなようですから、期待する方が間違いでしょうが…。
私も俳優座劇場には何回か足を運んだことがあります。いうならば新劇界では老舗の劇場と言う所でした。こういう劇場が無くなっていくことは本当に寂しいかぎりです。
新自由主義がはびこり、生産性と「コスパ」最優先のこういう時代だからこそ、商業主義によらない演劇、ヒューマンで現実を見つめた舞台、演劇が求められるような気がしてなりません。米軍への思いやり予算の、ほんの一部でも回せば済むことの様な気がしているのですが。 石川 隆