奄美大島の戦争遺跡
私の故郷は奄美大島南部の瀬戸内(せとうち)町です。本島南部と大島海峡を挟んだ加計呂麻島などで成っています。東は太平洋、西は東シナ海に口を開けている大島海峡はリアス式海岸の美しいところです。
ここにはかつてたくさんの軍事施設が置かれていました。本島側の東シナ海口に砲台跡や観測所跡、街の真ん中あたりに弾薬庫跡、加計呂麻島の東の端、太平洋側の入り口(安脚場)にも砲台跡や弾薬庫跡があります。そして、海の特攻兵器・震洋の出撃基地跡も加計呂麻島の南側、沖縄の方を向いて作られていました。震洋(しんよう)とはベニヤ板で作った小型船に爆弾を積んで敵艦に体当たりする兵器です。もちろん生きては帰れません。幸いこの基地からの出撃はなかったようです。
今回、安脚場の戦跡を訪ねました。急峻な山道を登った見晴らしの良い丘に弾薬庫跡と、砲台跡がありました。砲台跡は1921年に建設が開始され、太平洋側から侵入する敵艦や潜水艦を見つけたら海中に敷設した機雷を遠隔操作で爆発させることになっていたそうです。
これらの場所は何れも美しい風景が見られるところです、太平洋から昇る朝日、東シナ海に沈む夕日が見られます。リアス式海岸線の美しい島が、実は有数の軍事拠点となることを痛感しました。
そして、今また台湾有事を口実に、瀬戸内町に弾薬庫が作られ、自衛隊の駐留も始まりました。防衛省は弾薬庫をさらに追加建設する計画です。
奄美大島は固有種の動植物が存在し、世界自然遺産にも登録された島です。戦争の標的にしていいわけがありません。私が自公政権を終わらせたいと思う理由の一つです。
投稿 福田かづこ